歴史的保護地区

クレパックは歴史的保護地区内; 旧ヌ-島の収容所跡地にあります。

ヌ-島(現在のヌ-ヴィル半島)での収容所の開設

現在のヌ-ヴィル半島がまだ一つの島であった頃、ニュ-カレドニアの収容所の本館がアンス・パドン入り江に開設されました。1864年5月9日、 強制労働の目的で最初の流刑者を乗せたイフィジェニ-号 が、 およそ4か月間の航海を経て到着しました。この1864年から1897年にかけて、約2万2千人の流刑者が75回の輸送船団に分けてニュ-カレドニアにたどり着いたのです。

流刑者の生活

植民地での生活は、流刑者の一件書類と専門知識を参考に、他の収容所への常務や移動を兼ねる場合もあり、中には一般家庭での修繕(便利屋)や企業に勤める者もいました。

ヌ-島に残った流刑者たちは、《cases-dortoir共同寝室》を利用していました。彼らは 、(1878年から建設開始となった)鉄や材木を扱う作業場での仕事や、読み書きのできる者は、事務室にて働くことになりました。この他にも、水や材木の補給をしたり、埠頭にクレ-ンによって降ろされた商品の積み下ろし作業をしていた者もいました。中には、主食であるパン作りに就いた者もいたのです。

彼らは、収容所を見下ろせる場所を住居とした軍隊の監視官による指導を受けていまた。監視官の妻子も、この軍隊の敷地内で生活していました。ここには子供達が通えるよう、学校もあったのです。そうして、日曜日には協会にて結婚式、出産、洗礼、聖体拝領などが行われていまた。

特別地区

1973年以降、旧収容所の主な建造物は歴史的な関心があることから、記念建造物に指定されまています。今日、これらの特有な建築物を訪れることができます;司令官の館、給水塔、協会、司祭館、監視官の住居、既婚者の監視官の兵舎、作業場、パン屋、船着場、埠頭など、いくつもの見どころがあります。

思い思いにProvince Sud行政区により設置されたパネルボード《Itinéraires du bagne》を参考に訪れたり、ガイド付きツア-や、クレパックともパ-トナ-であるTémoignage d’un Passé会によるイベントなどに参加される人たちもいます。

収容所の閉鎖と新しい役割

主要な収容所は1927に閉鎖し、その後、最後の流刑者は東部の収容所へと移動しました。本来あった建造物は、公務員の住居として利用されました。これらの決断の意図は、旧収容所であった不名誉な事柄を消去すること :1928年にヌ-島は « ヌ-ヴィル »と名を新たにし ; 1939年には共同寝室と独房地区は故意に解体されました。

その後、第2次世界大戦中、跡地はアメリカの基地となりました。そうして戦後には、様々な育成制度や文化的な役割を果たすようになったのです。